漢字と平仮名

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千羽鶴折形序

先日、序(はしがき)のページを追加しました。

本文を文字に起こすこともしてみたのですが、その時に迷ったのが漢字と平仮名です。

リンク先の記事の方では、例えば「秘伝千羽鶴折形 序(せんばづるおりかたのはしがき)」の1行目は

大昔 聖の代の唐歌に 鶴九皐に啼く その

と書きましたが、原文になるべく忠実(旧字体、変体仮名は現代の文字にしてますが)に書くと

大むかし 聖の代のから歌に 鶴九皐に啼 その

となっているんです。

他にも、同じ本文中でも「齢」「よはひ(よわい)」や「寿」「ことぶき」と同じ単語でも、場所によって漢字と平仮名で書き分けられているんです。

現代とは漢字と平仮名を書く感覚が、かなり違うんですよね。

この感覚の違い、漢字と平仮名の歴史からこんな感じなのかなと思いました。

鎌倉時代より前に残っている文章は、漢文で書かれているものと平仮名だけで書かれた文章と極端だったみたいなんです。

公式文書のようなお堅いものは漢文で、和歌や日記のような緩いものは平仮名で書かれていました。

「春はあけぼの~」で有名な清少納言の枕草子も原文はほとんど平仮名で書かれていて、句読点も無い文章なんだそうです。

教科書等に載っている文章は、読みやすいように適度に漢字をあてて句読点を付けているというのを知った時は驚きました。

平安時代後期~鎌倉時代に和漢混交文という漢字と平仮名がある文章が出ました。

漢字と平仮名の文章が出たけど、元々は平仮名だけの文章がベースで漢字はアクセントという感覚だったんじゃないかなと想像しています。

現代の感覚だと、文章の意味が曖昧になってしまうのでは?と思いますが、曖昧な表現が許されない所では漢文で残せば良い訳で緩い文章はのびのび緩く書けたんだろうなぁと思いました。

公式文書以外だと杉田玄白の解体新書も漢文で書かれているんですよね。

科学技術書のようなものも漢文で残されているものが多いんですかね?

現代のように、単語や動詞できっちりと漢字と平仮名で書き分けるようになったのは、ちゃんと調べた訳ではないですが明治時代後期~大正時代位なのではないかなと思います。

明治時代、義務教育が始まり、その教科書は公式なものなので漢文の書き下し文のような文章で書かれたのかな?と思いました。

例えば、教育勅語だと

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

というように、漢文の書き下し文のような文章ですもんね。

その表現もだんだん片仮名の部分が平仮名になっていって、現代の漢字と平仮名の感覚になっていったのではないかなと思います。

推測だらけの記事になってしまい、すみません。

でも、原文を見ていなかったら、こんな感想も抱かなかったと思いますので、やっぱり原文に近いものを見るのは面白いなぁと思いました。